真・MFC千夜一夜物語 第441話 MFCの歴史を振り返ろう その17
マスフローコントローラー(以下MFC)の歴史に関して振り返っています。
DecoがMFCメーカーから離れ、一介のコンサルタント、エヴァンジェリストとして過ごして10年になります。
これを期にMFCという不思議な工業製品の技術動向をその歴史を俯瞰しながらまとめて行きたいと思います。
1990年代に入り、タイランは米国の本社がバキュームジェネラルとの合併を経てタイランジェネラルとなり、日本タイランは新たに日本アエラという社名で独立し、ソレノイドアクチュエーターを搭載したFC-770/780シリーズを中核に国内シェアトップを維持していましたが、エステック(現:堀場エステック)の猛追を受ける形となっていた。
そして今のプロテリアルの前身であるサムリサーチは日立金属に買収され、SAMブランドでピエゾアクチュエーター+メタルダイヤフラムバルブという画期的な構造のSFC-480を作り上げ、一部で高い評価を受け始めました。
エステックからスピンオフしたリンテックもデジタルMFCや液体MFCで、折から半導体層間絶縁膜CVD装置向けでTEOSのダイレクトインジェクションという分野を切り開いており、一気に日本のMFCメーカーが世界にその名を轟かすようになったのです。
山武ハネウエル(現アズビル)がMEMS型流量センサーを搭載した製品を送り出したのはこの少し後ですね。
2000年代になると世界シェア2位の堀場エステックは、従来の多種多様な製品ラインアップを、RoHS対応の名の下にZ500シリーズへの一本化を試み、これに成功した事が功を奏し、リーマンショックのダメージコントロールに成功しました。
奇しくも米国メーカーの企業統合失敗からの崩壊を嫌気した顧客を取り込み、リーマン後に市場が縮小する中でシェア1位を獲得、2014年にはついにシェア52%の市場寡占状態を作り出したのです。
90年代までは国内シェア1位であった日本アエラは高周波電源メーカーであるAE(アドバンスドエナジー)に買収され、生産工場を中国深圳へ移管しましたが、次第にエステックの後塵を拝するようになり、再度日立金属に売却されることになります。
2度の買収による人材流出、新技術の不在から市場での評価は低落し、日立金属は両社の合併前のシェア合算分を維持することすらできない状況に陥りました。
半導体製造装置用閉止弁やIGS、そして臨界ノズル式流量制御モジュールFCSのメーカーであったフジキンは国内では比較的に遅いタイミングで熱式MFC市場に参画しました。
そのコンベンショナルな設計と、顧客需要を掴んだ開発力はマーケットでの評価も良く、国内二番手としてエステックを脅かす存在ではありますが、まだ総合力で見劣りしている印象ですね。
【あなたにMFCの夜が来る~真・MFC千夜一夜物語】by Deco EZ-Japan